司と薫の部屋
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死にたい、と口ずさむ人がいる。
それが合理的な判断に基づいたものであるなら、それはそれでいいかもしれない。 けど訂正する必要がある。 きみが「死にたい」と口ずさむとき、 きみは「死にたい」んじゃない。きみはきみを「殺したい」んだ。 きみが気に食わないのは、「今のきみ」。 きみが絶望しているのは、「今のきみ」。 きみは「今のきみを殺したい」。 だったら殺せばいい。 新しいきみで、古いきみを。 きみが苦しんでいるのは、きみがきみでなくてはならない そう思い込んでいるから。 でもそんな必要はないんだよ。 きみはきみでなくてもいいんだ。 きみは何にだってなれる。 きみは誰であってもいい。 もっと言えば、きみは一人である必要すらない。 きみは複数の誰かであり、複数の何かであっていいんだ。 いつもきみを決定づけているのはきみ自身。 だからこそ、きみは今のきみの有り様に固執せず、 そしてきみという制限を取り払うことによって、 無限の可能性を切り開ける。 チャンスなんだよ。 もともとの有り様、既存の有り方に満足している者には辿り着けない その領域へと踏み込むチャンス。 主観的な感覚を少しずつ捨てていくことによって、 苦しみの本質から脱却していくこと。 主観的事実に基づいて全てを統一的に構築していくという 人間のシステムを超えること。 そう、それはつまり、人間を超えることだ。
人間は統合性を求める。
知覚的統合性や思考的統合性、感情的統合性など。 行動・思考、全てにおいて人間は自分の主観的事実に沿うような選択肢を選んでいく。 しばしばそれは、十分な思考を省略して。 それが固定観念やスキーマと言われるものであるが、 これらが形成されそれを前提に行動・思考が起こるのは 何よりもそれが楽だからである。 思考省略。人間達は思われているほど考えて行動することをしていない。 すでにある形式に沿って、 あるいはその形式に一致・統合・統一するように、 錯覚的意志を持たせながら自動的に行われていく。 強化されていく主観的事実。 あらゆる別の可能性は否定され、 また自ら可能性を殺していく。 統一・統合を求める人システムにとって 別の可能性やさまざまにベクトルを持つ思考は脅威なのだ。 しかし時に統合性を求める人システムは 自らを破滅へと導く主観的事実を構築してしまう。 そうしたとき、このシステムは危機の回避法を知らない。 破滅へ導く主観的事実さえも強化され続けていってしまう。 言わば、人システムはそれ自体が脅威なのだ。 獲得物は思考の簡略化、代償は潜在的脅威。 人を人たらしめているそれは自殺システムになりうる。 |
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