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I have a Ben. Ben was named Johnny. Johnny,Where are you going?

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「遊ぼう」っていうと「遊びたいと思うのね?」って言う。

「馬鹿」って言うと「馬鹿だと思うのね?」って言う。

「もう遊ばない」って言うと「もう遊びたくないと思うのね?」って言う。

「ごめんね」って言うと「ごめんねと思うのね?」って言う。


こだまでしょうか、いいえ、カウンセリング

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疑念はその答えを与えてやることで疑念ではなくなる。

与えられた答えはただ強化されていく。

つまり、比較的もっともらしい答えを与えてやれば相手は満足する。

満足させてやることで真の答えを隠し通すことができる。

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ジョン・ジョージ・ヘイグについて
 
 
 裁判において加害者が精神的病理を抱えていたか否かは大きな問題となる。本レポートではイギリスの有名なシリアルキラー、ジョン・ジョージ・ヘイグについて考察してみたい。
 ジョン・ジョージ・ヘイグ(以下ジョン・ヘイグ)は1946年から1949年の間に9名を殺害し、いずれの遺体に関しても硫酸入りのドラム缶に溶かして処理をした。そのことから彼は「硫酸風呂の殺人者」と呼ばれるが、硫酸風呂殺人は彼が「『CORPUS DELICTI』が無ければ罪に問われない」というイギリスの法律の条文を誤解し、「殺人を犯しても死体が発見されない限り罪に問われない」と捉えたためであり、その誤解の上では硫酸での処理は比較的合理的なものであったと考えられる。仮にジョン・ヘイグを反社会性人格障害、あるいはサイコパスと診断してみてはどうだろうか。これらの特徴としては、良心の異常な欠如、他者に対する冷淡さや共感のなさ、慢性的に平然と嘘をつく、行動に対する責任が全く取れない、罪悪感が全く無い、過大な自尊心で自己中心的、口達者で浅薄な魅力などがあるようだが、このほとんど(全てと言ってもいいかもしれない)がジョン・ヘイグには当てはまっている。良心の欠如や罪悪感のなさに関しては、彼が行った殺人という行為にはもちろん、その方法に関してどのようにすれば法律上罪に囚われないかということに着目したことにも表れているようにも思う。また裁判中クロスワードパズルを解いていたというエピソードも彼の異常な罪悪感のなさを示しているだろう。口達者で浅薄な魅力としては、警察の尋問に対して平然と「彼女を殺したのは私ですが、夫人を硫酸で跡形もなく溶かしてしまったから殺人事件として立件できませんよ」と答えるというような態度がまさにそれに当たるように思われる。平然と嘘をつくということに関しては、精神異常を装うために「被害者の血を呑んだ」と供述したことがそれに当たるだろうか。
 ところで最後に記述した「被害者の血を呑んだ」というジョン・ヘイグの供述だが、これが本当に精神異常を装うためのものであったのかどうかというところは定かではない。当時「ロンドンの吸血鬼」とも呼ばれたジョン・ヘイグは自らの手記に「9人の犠牲者全ての喉を斬り裂き、そこから溢れる血をコップに集めて飲んだ」という記述をしていた。また手記には「12歳の時に手を怪我して自分の血を舐め、そのときに自分が吸血鬼の子孫であるのを発見した」という記述や「1944年、35歳で自動車事故にあい、頭からの出血が口に入り何かが目覚めた」という記述、「そのときをきっかけに血の滴る十字架の森を彷徨う夢を見るようになった。森の中には、血を集めた盃を差し出し「飲め」と命じる男がいた」「やがて夢の中だけでは吸血の欲求は満たされなくなり、現実の殺人を犯し、被害者の血を飲んだ」という記述なども記されていたようである。ジョン・ヘイグはさらに「自分は吸血の欲求に従ったのであり金銭を目的として殺したのではない」としているが、裁判においては彼が実際には殺害した相手の所有物を売り払いかなりの金をもうけていたことや、吸血の証拠となる遺体の喉を裂いた跡も全て硫酸によって溶かされてしまい確認できないことから、ジョン・ヘイグの弁護側が提出した彼はパラノイアであるとする医師の所見も偽装であるとし、ジョン・ヘイグは1949年の8月に絞首刑となった。確かに彼が吸血の供述前に捜査官に「ブロードムア(刑事犯専門の精神病院)から出られる見込みはあるんですかね?」と訊ねていたことも彼がはなから精神異常を装い刑罰を逃れようと考えていたためと捉えることもできるが、問題はジョン・ヘイグの手記が書かれた時期である。どうやら彼の手記は死刑確定後に書かれたものであるらしく、最後には「永遠の命なんてあるのだろうか。俺はもうすぐそれを知るだろう」と記述されているとのことである。もしこの手記が記述された時期が本当ならば、そもそも彼の手記は判決を左右させるものではなく、すでに彼にとって精神異常を装う意味もなくなっていることだろう。最後の時間を吸血鬼を演じることで楽しんでいたということも十分に考えられる気はするが、ジョン・ヘイグは殺人犯であると同時に詐欺師でもあり、単なる愉快犯ではないような印象が持たれる(慢性的に平然と嘘をつく性質の延長線上とも考えられるが)。であるならば、本当に彼はパラノイアだったのだろうか。ここであえてもう一つの可能性を考慮してみたい。もう一つの可能性、それは死刑判決によって彼は本当にパラノイアになってしまったのではないかという可能性である。
 彼の反社会性人格障害、あるいはサイコパスとしての性質は人間らしさの欠如によるものであるように思われる。人間らしさ、この場合良心や罪悪感のことであるが、そういうものの欠如がジョン・ヘイグには確かに有り、また自己中心的な性質は自身の人としての特異感ともつながりが強かったのではないだろうか。ここからはまったく推測の範疇を超えないが、そうした特異な自身が初めて他者から死刑という判決を下されたことにより、他の人々と同様に自分も罰せられる存在なのだという認識が生じ、人としての特異感が減少したのかもしれない。それは言い換えれば人間らしさの獲得であったのかもしれないが、その人間らしさの獲得は精神のある部分の欠如ではなく異常を生じさせ、失われた特異感が人間らしさ独特の不合理的なものとして再び生じ、つまり本当に自分は吸血鬼なのであるという考えがまるで既知的なものとして生じたのではないだろうか。真実はわからないが、見方によっては反社会性人格障害、サイコパスは人間らしさの欠如と合理性による結果であり、それが人間らしさを獲得することによって不合理的な妄想を生じさせたのかもしれない。もしかすると人間らしさは一方でそれ自体が病理を引き起こすものであるのではないだろうか。
 
 
参考文献
 
ジョン・ジョージ・ヘイグ MADISONS http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/haigh.html
ジョン・ヘイグ ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wi ki/%E3%82%B8%E3%83%A7%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%82%B0
ジョン・ジョージ・ヘイグ 吸血鬼の手帖 http://dracula.sblo.jp/article/4907622.html

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1956年のフランスの映画。少年と赤い風船の友情のお話。風船がまるで生きてるみたいでとっても可愛かった。もちろん風船を生き物のように扱う男の子も。風船を傘に入れてあげて歩いてるとことか。風船に掴まって飛んでっちゃうとのとか。メニルモンタンの街もとっても可愛らしくって。風船に移る景色もすごく素敵だったし。風船飼いたいな~

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